2000/12/21
原作:一世一第  文章:仙人

あふれる光のもとで…


 風が吹いた。

 ふわり、と銀色の髪が舞う。

 人気の無い、寂しげな場所…。そこにカノンは立っていた。

 墓場である。

 カノンは、じっと、目の前の墓石を見つめていた。そこには、彼の父親の名が刻まれている。

 ふわん、と先ほどよりも、さらに強い風が吹いた。

 カノンは思い出していた。
 一年前、彼の父親がいなくなった日の事を…。


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「カノン」

 カノンが昼ご飯を食べ終わるのを見計らって、いつものように父親が声をかけた。
 しかし、彼はカノンのほうを見ようともしない。彼が見ているのは、いつもサガだけだった。

「カノン、今日は友達と外で遊ぶんだろう?」
 父親が言った。
 やさしげな声音だ。しかし、その声には逆らいがたいものが含まれていた。

「どうした? カノン。友達が待っているんだろう? 早く行った方がいいんじゃないかい?」
 
 友達なんて待っていない。
 カノンは、泣きそうな瞳で父親を見た。

 しかし、父親はカノンを見ない。彼は、じっと、サガを見ている。そんな父親の様子に気づいているのかいないのか、サガはもくもくと食事をとっていた。

 カノンは、寂しげに目を伏せた。

「……ちょっと…、今日は…、体の調子が悪くて……」
 カノンが言った。声が震えている。

 確かに、カノンは体調が悪そうである。熱でもあるのか、青白い顔をしている。

「どれ?」
 言いながら、父親はカノンの額に手をやる。その動作は、どこか、義務的に見えた。

「これくらいなら、たいした事は無い。外で遊べば、治るだろう」

 そこまでだった。これ以上、カノンに何が言えただろう。

「わかった…。外へ、行ってくる…」
 蚊の鳴くような声でカノンが言った。

「ああ、気をつけて行ってくるんだぞ」
 うれしげに、父親がカノンに言う。

 カノンと父親、二人の死角で、サガが、かすかに、しかし重いため息をついた。

 カノンは、チラリと父親の横顔を見ると、重い足取りで外へ出ていった。

 じっと、そんなカノンの後姿をサガが見つめていた。


 自分の方を見ようとすらしてくれない、冷たい横顔。
 これが、カノンが最後に見た、生きた父親の姿だった。



*********************************


 ふわりと風が吹いた。
 その風は、肌を刺すように冷たい。

 夜が迫ってきていた。

 はるか上空では、うっすらと星が輝き出している。

 カノンは、そっと右手を伸ばした。指先が、墓石に触れる。

 それは、ひんやりとして冷たかった。

「カノン…」

 カノンの背中で声がした。

 カノンは、ギョッとして後ろを振り返る。

「やっぱりここにいたんだな、カノン」

 声の主はサガだった。

「さあ、おいで。帰るよ」
 と、サガはカノンに向けて、右手を差し出した。

 カノンは、差し出された手のひらと、サガの顔を交互に見ながら、
「一人で帰れよ」
 と、ぶっきらぼうに言った。

 サガは、やれやれとため息をつくと、小さい子供をさとすかのように言う。
「カノン。どうして、おまえは、いつも、そう聞き分けがないんだ?」

 カノンは、ムッと、口を尖らせる。
「やめろよ! 同い年のくせして、いつもいつもオレを子供扱いするな!」

「カノン…」
 それは誤解だ、と言おうとしたサガの声は、カノンの弾丸のような言葉にかき消されてしまった。

「同い年のくせに、いつもオレを子供扱いして、年上ぶってて、何もかも自分は知ってるって顔しやがって・・・。オレはおまえが嫌いだ! だいっ嫌いなんだよ!」

「私が…嫌い…?」

「ああ、そうだ! この世で一番、大嫌いだ! 目の色、髪の色、姿、形…、全部全部同じなのに、どうして…、どうして、おまえばっかり見てもらえたんだ! かまってもらえたんだ! オレは、たったの一度だって見てもらえなかったんだぞ!父親から…」

 それを聞き、穏やかに、そして寂しげにサガが言う。
「カノン、それは誤解だ。私は、あの男から、本当に愛されたことなど一度も無いよ」
 
 しかし、その落ち着き払った態度が、カノンの癇に障ってしまったらしい。
「気休めはやめろ!」
 カノンの声が、あたりに響く。

「良い子ぶるな! 余計オレがみじめになるじゃないか! おまえがいる限り、オレはいつも影だ! お前なんかには分からないよ、オレの気持ちなんて!」

「カノン…。お前にだって分からないよ、私の気持ちは…」
 そこで、サガは目を伏せた。過去の出来事を思い出してしまったのか。

 しかし、カノンはそのことを知らない。
「分かりたくもないね、お前の気持ちなんて」
 やけに冷たく、その言葉は響いた。

「父親にかまってもらえて、いつも大事にされて…。幸せいっぱいのお前の気持ちなんか、知りたくも無い!」

「カノン…」

サガは、カノンの瞳をじっと見つめた。

「それは誤解だと言っただろう?」

 一瞬、カノンは、得体の知れない威圧感をサガから感じた。
 カノンは、驚いて、サガの瞳を見返す。
 しかし、その時にはもう、その威圧感は消えていた。

「私は…」
 サガは、カノンから目をそらした。

「なんだよ?」

「私は…、いつも、お前のほうを見ていた。お前のことを大事だと思ってた。だから、毎日、お前のために…」

「オレのために?」

「お前の分も……、あの男から……」

「父親から?」

 サガはカノンを見、何か言おうと唇を動かす。しかし、サガの口から、言葉がつむぎ出される事は無かった。ただ、ぱくぱくと口を動かしただけだ。

「父親から? なんだよ?」
 イラついた様子で、カノンがサガの肩をつかむ。

 サガは、下を向いたまま、独り言のようにつぶやいた。

「…あの男から……、私は……」

「なんだよ? 早く、続きを言えよ!」
 カノンは、うつむいたままのサガの肩を、乱暴にゆすった。

 その時。
 夕日が沈んだ。

 急速に、辺りは暗くなっていく。
 太陽という、強い光が消えたことで、二人の影は、ふっと薄くなった。

 もうこんな時間なのか、とカノンは空を見上げる。サガの肩はつかんだままだ。

「カノン」

 名を呼ばれ、何?とカノンはサガのほうを見る。

 サガは顔を上げると、にこりと微笑んだ。カノンが見たことも無い表情だった。

 いぶかしむカノンの頬に、そっとサガが手を伸ばした。

 まるでスローモーションのようにぼんやりと、カノンはサガの動作を見ていた。

 そんな様子のカノンを見て、ふっとサガは笑うと、そっと、自分の唇をカノンの唇に重ねた。

 カノンは、まだ、ぼんやりしている。自分が何をされているのか、分かっていないのかもしれない。

 そんなカノンに構うことなく、サガはカノンの腰に手をまわすと、ぐっと自分のほうに引き寄せた。

 はっと、カノンは我に返る。

 カノンは、サガから逃れようと、しきりに彼の腕の中でもがいた。

 ややあって、サガがカノンを離した。

「な…、何するんだ! いきなり!」
 サガを睨みつけながらカノンが怒鳴った。その瞳の中に、かすかなおびえの色が混じっている事には、カノン本人も気づいていない。

 だが、サガだけはそれに気づいていた。

 ふっと目を細めると、サガは再びカノンを抱き寄せた。

「や、やめろ!」

 カノンは必死でサガを引き剥がそうとするが、彼はびくともしなかった。

 カノンの抗議など、まるで聞こえないかのように、サガはカノンの髪に手をさし込む。指に絡み付く、柔らかい銀髪はひんやりしてて心地よかった。

 そのまま、カノンの細い首筋に、サガは唇を当てる。ぴくっとカノンの体が震えたのが、サガの唇に伝わった。

「いやだ…」

 カノンの体が火照っていた。耳まで真っ赤になっている。
 カノンは逃れようと頭を振ったが、サガにしっかりと頭の後ろをつかまれているため、それはかなわなかった。

「やめろ」

 先ほどよりも強く、そしてはっきりとカノンは抗議した。その声は、かすかに震えていた。

 しかし、サガは取り合わず、今度はカノンの服に手をかけ始めた。この場で脱がすつもりなのか。

「い…、いやだぁぁぁ! いい加減、やめろっ!!」
 真っ赤な顔をしたまま、サガを殴りつけようと、カノンは自由になるほうの手を振り上げた。

 だが、その手がサガに振り下ろされる事は無かった。

 ぱしっ、とサガは軽々とその手をつかむと、自分のほうに引き寄せる。

「カノン…。何をそんなに嫌がるんだ? オレは、お前が知りたいと言うから教えていただけじゃないか。…あの男、父親が毎日オレにしていたことを」

「え?」

 カノンは、驚いてサガを見た。

 サガは、やや潤んだカノンの瞳をのぞき込むと、ふっと微笑んだ。

 再び、カノンはその微笑に違和感を感じた。

 何かが違う……。確かに、目の前の人物は、サガと同じ姿、形をしている。だが、作り出す表情は、彼の知る人物とは全く違う。

 カノンは思った。これではまるで……。

「カノン…。本当に何も知らないのは、カノン…、お前の方だよ。お前はいつも二言目には、オレの気持ちは分からない、と言う…。だが、お前にオレの何が分かるというんだ? お前が、昼間、明るい光の下で遊んでいる間、オレが何をしていたと思う? 何をされていたと思う?」

 じっと、サガはカノンの顔を見つめた。

 その時、月の光がそっと二人に降り注いだ。

 月の光に照らし出されるサガを見た、その瞬間、カノンの中に浮き上がっていた疑問は確信に変わった。

 無意識に、カノンはその確信を口に出していた。


「お前は誰だ?」


 サガは、何を言ってるんだ、と不思議そうな視線をカノンに向ける。

「何をボケているんだ? オレはサガだ。知ってるだろ?」

「ああ、そうだ、分かってる。……けど、なんでかなぁ? オレには、お前の髪が黒色に見えるんだよ」

 驚いて、彼はカノンから手を離した。
 もどかしげに、カノンはしゃべり続ける。

「姿、形はサガと全く同じなのに、作り出す仕草や表情は少しも同じに見えない。オレの知ってるサガとは、まるで別人のような気がする…」

 カノンはしっかりと彼のほうを見た。

「お前は誰だ?」

 その時、カノンはサガではなく、彼を見ていた。

「オレは…」

 月の光が二人の影を作っていた。それは、淡い影だった。

「オレは…、サガの影だ。…サガ本人すら知らない、…影の存在だ」
 言いながら、彼の心に、様々な思いが駆け巡っていた。
 
 どうして、サガはオレの事を忘れたりするんだ。
 
 オレはいつだって、サガの望むことしかやってない。

 あの男の死はお前だって望んだことだろう? それなのに、オレだけが悪者なのか。オレが直接手を下したから。

 オレがあんな事をしたのは、サガの為でもあったのに…。
 どうして、オレの事を忘れるんだ。

 どうして、オレの存在から目をそむけるんだ。
 キラリ…。
 月の光を受けて、何かが煌いた。

 カノンが、驚いたような、困ったような表情をして、彼を見ている。

 煌いた何かは、彼の瞳から溢れているものだった。それは、すっと、彼の頬を伝い落ちると、空中で球を結び、きらりと煌くと地面に吸い込まれて消えた。

「涙…」
 
 彼は、自分の頬に手をやった。彼の頬は涙で濡れていた。

「泣いてるのか? オレが?」

 信じられない、というように彼は自分の手のひらを見つめた。その指に、涙が光っていた。

「なんで、泣いてるんだ?」

 カノンはポリポリと自分の顔を掻くと、サガの体をそっと抱き寄せ、ぽんぽんと頭をなでた。

「つらかったんだな、お前も…」

 まさか、こんな風に慰められるとは思わず、彼はびっくりしてカノンを見た。

「やめろ…。なんで、そんな事するんだ? オレはさっき、お前にあんな事をしようとしたんだぞ、忘れたのか?」
 そう言いつつも、彼はカノンを振り払おうとはしない。やろうと思えば、簡単に振り払えるのに。

「忘れるわけ無いだろ? あんな屈辱的な事はもうごめんだ」

「だったら、なんで?」

「よく分からないけど、オレがこうしたかったから、やった。それじゃ、駄目か?」

「……」

「だってさぁ…」
 カノンは、夜空を見上げた。やさしく、月が光っていた。

「誰にも…、見てもらえないのは、つらすぎるよ…」

 言いながら、なんてバカだったんだろう、とカノンは思った。
 サガの事を、幸せいっぱいの、あふれる光のような存在だと、どうして自分は思ってしまったんだろう。サガはこんなにも苦しんでいたのに。二人に分かれてしまうほど苦しんでいたのに。

 どうして、自分は気づいてやれなかったんだろう。
 幸せいっぱいに見える、あふれる光の下で、こんなにも暗い事実があったことに…。

 あふれるような、強い光の下でしか、暗くて濃い影はできないのだ。

「お前も…、つらかったんだな」

 そっとささやかれたカノンの言葉は。
 もう一人のサガにとっては、初めて自分の存在を認めてもらえた言葉だった。

 もう一人のサガは、かすかに、カノンの腕の中でうなづくと、そっと目を伏せた。
 くたりと、サガの体から力が抜けた。慌てて、カノンはサガの体を支える。

 数秒して…。
 
 サガが、長いまつげを震わした。

「あれ?」と頭を押さえる。

 銀色の髪が月の光に映えて綺麗だった。

「私は? 一体…」
 
 涙の後もそのままに、サガは言った。
 なんて顔してるんだ、とカノンはその涙を手でぬぐってやりながら、サガに答えた。

「貧血起こして、倒れてた」

 なんて下手糞なうそだろう。サガが貧血を起こしたなどと、今まで一度も聞いたことなど無い。

「そ、そうなのか…?」

 しかし、まだ頭のはっきりしないサガは、簡単に信じ込んでくれたようだ。最近、生活が乱れてたかな、とまじめに考え始めている。

「あ、あのさ…」
 照れくさそうに、カノンが声をかけた。

 サガは、?マークを浮かべながら、カノンのほうを見た。

「サガ…、悪かったな。オレ、さっき、お前が嫌い、って言ったけど…、あれ、嘘だから。オレ、お前の事、嫌いじゃないから!」
 
 それだけ言うと、カノンはくるリとサガに背中を向けた。
 サガは訳が分からずポカンとしている。

「???」

 ちっとも付いてくる気配の無いサガに、カノンが歩きかけた足を止め振り返った。

「何してるんだ? さっさと、家、帰るぞ」

 ずいっ。
 サガの前に、つかまれ、とばかりにカノンが手を差し出す。

 数秒間、サガは差し出された手のひらとカノンの顔を交互に見つめていたが、ふっと優しげな笑みを浮かべると、嬉しそうにカノンの手を取った。

「カノン、ありがとう」

 淡い、月の光だけが、彼らを優しく見守っていた。



おわり

・・・と言いつつ、おまけ
↑上のお話から数日後・・・


カノン「なあ、サガ。今日の夕飯、カレーでいいか?」

サガ「ああ、いいぞ。オレ、カレー、大好きだからな」

カノン「…………って、なぁんだ、もう一人の方か」

サガ「よくオレだって分かったな。最近お前、百発百中じゃないか」

カノン「そりゃあ…、まあ…、こう毎日毎日食事時だけ出てこれば…」

サガ「うっっ!!!」

カノン「おまえ・・・ご飯たべるの、好きなんだな」

サガ「ああ、そうさ! ご飯食べるの大好きだよ! オレは、欲望のままに生きているんだ! 悪いか!!」

カノン「い〜やぁ、全然悪くは無いんだが…」

サガ「だが、なんだ?」

カノン「いや、今日もまたサガに注意しなきゃな、と思って…」

サガ「注意? 何をだ?」

カノン「サガが、も1回ご飯食べないように…って」





今度こそ、本当におわりです。

ここまで、読んでくださった方…、
本当にありがとうございます、そしてお疲れ様でした。
読んでもらえて、とても嬉しいです。(仙人より)


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