2000/12/15
原作:一世一第  文章:仙人

あふれる光のもとで…


 昼間だというのに、その部屋は薄暗かった。

 部屋中のカーテンを締め切って、外の光を遮っているからである。
 
 その薄暗い部屋には、二人の人間がいた。
 
 一人は30歳過ぎくらいの男。
 もう一人は、12,13歳くらいの少年である。
 
 二人とも、何も身につけていなかった。生まれたままの姿である。

 男は、ベッドの端に腰掛けたまま、そっと、傍らの少年を見た。
 
 しかし、少年はベッドに横たわったまま、男の方を見ようともしない。少年の紫色の瞳は、じっと天井を見つめていた。

 男はそんな様子の少年を見て、かすかに笑った。なんとなく嫌な笑い方である。彼は、無遠慮に少年のあごに手をかけると、無理やり自分のほうを向かせた。

「おまえは、本当に綺麗だな、サガ」
 少年、サガのあごに手をかけたまま男が言った。

 サガは、かすかに眉間にしわを寄せた。

「そう嫌そうな顔をするな。綺麗なものを綺麗といって悪いことはないだろう?」
 言いながら、男は空いているほうの手で、サガの髪にそっと触れる。柔らかそうな銀髪は、ひんやりしていて心地よかった。

 ちらりと男に目をやると、サガは、そうじゃない、と言うように目を伏せた。嫌なのは、言葉ではない。これから起こる事なのだ。

 彼には、この後何が起こるのか分かっていた。当然である。3,4年前から、毎日、行われてきたことだ。
 だからこそ彼には分かっていた。この後起こる事を回避することができないことも…。

「カノンは…?」
 まだ声変わりしていないのか、少女のような高い声でサガが言った。
 カノン、とは彼の双子の弟である。カノンも、サガとまるで同じ、きれいな容姿をしているのだが、なぜか男が手を出すのはサガだけだった。

「ああ、どこかへ遊びに行ったよ」

「遊びに行かせた…、の間違いだろ?」

 男はクスリと笑った。
「そうとも言うな」

 しかし、サガの表情は凍りついたままだった。男の顔を見もしない。うつろな紫の瞳に、男の鎖骨が映っていた。

「さあ、カノンが戻らないうちに…」
 男がサガの体にそっと触れた。

 サガは静かに目を閉じた。

 カチリ、と針が動く音が、薄暗い室内に響いた。針は2時40分をさしていた。


********************************* 


 ガバッとサガは飛び起きた。
 朝である。彼にしては、朝寝坊したほうか。

「また、夢か…。もう一年も経つのに…」
 ぼんやりと、窓のほうを見ながら、サガがつぶやいた。
 窓からは、柔らかい朝の光が差し込んでいる。

 ふと、サガは自分がべっとりと汗をかいていることに気づいた。
 
 はぁ、とため息をつく。

 あの、いつも自分に手を出してきた男は、もういない。一年前に死んだのだ。
 しかし、いまだにサガは、それまでされたきた出来事を忘れることができずにいた。

 ちなみに、カノンはこの事を全く知らない。
 そして、サガも言うつもりはない。
 
 サガが、ゆっくりとベッドから出た時、外のほうで騒がしげな声がした。

 あわてて窓から見を乗り出して、サガは声がした方を見る。

 2重、3重の人垣の中、サガのよく知った人の姿が見えた。
 年齢は14くらい。綺麗な銀髪をしている。瞳の色は、ここからは見えないが、サガにはそれが誰だかわかっていた。

 カノンである。

 よく見ると、カノンの足元には、2,3人の人間がうずくまっている。いずれも、怪我をしているようだ。

 サガは頭を抱えて、重いため息をついた。
(また、けんかしたのか…)





「カノン! 聖闘士になるための力をケンカに使うなと、あれほど言っただろう?」
 カノンの腕に包帯を巻きながら、サガが言った。
 言うほうも言われる方も、もう、おなじみのセリフである。

 カノンは答える代わりに、プイッと横を向いた。

 サガは、チラッとカノンの横顔を見ると、ほどけないように包帯をむすんだ。

「カノン、分かっているのか? 私達は普通の人間とは鍛え方が違うんだ。だから、むやみに力を振るっては、人を傷つけてしまうかもしれないんだぞ! どうして、いつもおまえは……」

 カノンは何も答えない。黙って横を向いている。

 サガは、カノンを盗み見すると、
「しかも、こんな朝っぱらから…。私は今、起きたばかりだというのに…」

「もう昼だけど?」

「え?」

「時計見てみろよ。おまえ、今日、起きるの遅かったんだな」

 サガは、慌てて時計を見た。
 カチリ、と音を立て、時計は12時30分を指した。

「………。と、とにかく、朝だろうが昼だろうが、ケンカはやめろ! わかったな?」

「い・や・だ!」

「カノン!」
 サガは、カノンの腕をギュッとつかんだ。

 カノンは、勢いよくその手を払う。
「命令するな! オレと同い年のくせに!」

「なに?」
 刺すように、紫の瞳でサガは、じっとカノンを見つめる。

 カノンは、一瞬、瞳におびえの色を見せると、しかし、すぐにそれを打ち消した。
「うるさいっ!!」
 耳が痛くなるほどの大声でカノンが怒鳴った。まるで、気の小さい犬が、やたらと吠え立てる時のように。

「おまえなんかに…」
 サガに話す間を与えたくないのか、カノンは弾丸のように怒鳴りつづけた。

「おまえなんかに分かるもんか! 兄さん、あんたなんかには一生わかんないよ! オレの気持ちなんて! いつもいつもいつもいつも、サガばっかりちやほやされて、親にも誰にも目をかけてもらえなかったオレの気持ちなんて、おまえには分からないよ! オレは、いつも影だったんだからな!!」

 一気にしゃべりきって息切れしたのか、カノンは一つ深呼吸した。

 サガはぽかんとカノンを見ている。いや、見ている、というのは正確ではないだろう。彼の瞳は、焦点が合っていないのだから。

 カノンは、ポケッとしたサガを一瞬見ると、彼を置いてどこかへ走り去ってしまった。

「カノン……」

 サガは、振り払われた自分の手をじっと見つめて、

「おまえにも…、私の気持ちは分からないよ…、一生…」
 と、つぶやいた。

 窓から差し込む光だけが、そのつぶやきを聞いていた。


********************************
 薄暗い部屋の中、二人の人間がいた。
 
 一人は30くらいの男、もう一人はサガという名の、綺麗な顔立ちをした少年。
 二人は、何も身につけてはいない。

 サガは泣いていた。と言っても、彼の綺麗な紫の瞳からは、一滴の涙も流れていない。

 泣いているのは心だった。

 彼は思った。

私は、こんな事されたくない。

なのに、どうして、こんな事されるのか…。

私は、何か悪い事でもしたのか?
いや、こんな事されねばならないような悪い事はしていない。

そうだ、あれは自分じゃない。
あのベッドに横たわっているのは自分じゃないんだ。
あんな、かわいそうなのは自分であるはずがない。

 彼がそう思った瞬間、彼の意識がふっと飛んだ。

 数秒後、意識が戻る。

 その時なぜか…。
 サガは部屋の中央にいた。

 サガはベッドのほうに目をやる。

 そこにもちゃんとサガはいた。しかし、男は部屋の中央にいるサガには気づきもしない。

 サガは、一歩、ベッドの方へと足を踏み出した。
 カーテンから漏れる光が、彼にそそがれる。
 しかし、光は彼の体を素通りし、影を作ることはなかった。

 ふと。
 それまで、ベッドの上でぼんやりと天井を見つめていたサガが、もう一人のサガのほうを見た。

 振り向く動作にあわせ、銀色の髪がふわりと揺れる。

 一瞬、サガは見とれたが、ふとあることに気づく。ベッドに横たわる彼に向けて、サガは言った。

『おまえは誰だ?』

 ベッドに横たわるサガが、にこりと微笑んだ。
 男は、もう一人のサガの存在には気づきもしない。気づかないのが当然なのだ。もう一人のサガは実際には存在しないのだから。彼の内面にだけ存在しているのだから。

「おれはサガだ」
 かすかに唇を動かし、小さな声でベッドに横たわったサガが言った。

「ん? なんか言ったか?」
 何か、サガがつぶやいたような気がして、男が尋ねる。

「何も。空耳だろう?」

「そうか…」
 と、男は今までしていた事に再び没頭し始めた。よくも毎日、飽きないものだ。

 空耳と言われ、思い込んでしまうほどの小さな声だったが、サガにはそれで十分だった。彼にははっきりと聞こえていた。

『私がサガだ』
 実体のないサガが言った。

 実体のあるサガが、もう一人のほうをじっと見た。

(ああ、そうだ。おまえもサガだ。だけど、オレもサガなんだよ)

 彼の唇は動いていない。しかし、何を言っているのか、サガには分かった。当然だ。どちらも自分自身なのだから。いちいち口に出さなくても、言いたいことを伝えることはできる。

(なあ、オレは毎日こんな事されるのは、嫌なんだよ)

『………』

(おまえだって嫌なんだろう? だからオレが生まれたんだから)

『どうしたいんだ?』

(元凶を断つんだよ。毎日こんな事されないようにするために、一番手っ取り早い方法でさ)

『…仮にも、その男は父親なんだぞ、私達の』

(かまうものか。ごちゃごちゃ言うなら、オレがやる。ちょうど、今はオレが体を使ってるしな)

『しかし……』

(気になるなら、眠っていろ! その間に、オレがすべてやっておく!)

 瞬間!
 サガは、ものすごいエネルギーを叩きつけられたような気がして、気を失った。




 再び…。
 彼が意識を取り戻したとき、何もかもが終わっていた。

 男、サガとカノンの父親は、この世にもういなかった。

 そしてサガは…。
 彼と交わした会話だけでなく、もう一人の自分の存在そのものを忘れていた。


*********************************


 カチリ。
 
 時計の針が動いた。静かな部屋に、やけに大きくその音が響く。

 ふとサガがその音に気づき、時計を見る。

 午後5時。

 サガは不思議に思った。
 眠ったつもりはないのに、今までの、約4時間ほどの時間の記憶がない。

 なぜだろう?と、サガは考え出したが、はたとあることに気づき、考えるのをやめた。

「カノン…」

 名前を呼んでみたが、反応はない。そこには、サガ以外の人の気配はない。

「まだ戻ってないのか…」

 やれやれ、とサガは窓の外を見た。
 外はもう、夕日が沈みかけていた。

 早く、カノンを探さねば。

 しかし、サガに焦る様子は見られなかった。

 サガはぼそりとつぶやいた。

「カノンが行ったのは…、おそらく、あの場所か…」

 そういうと、サガはカノンがいるであろう場所へ行くため、家を後にした。




つづく


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