2002

化学治療日記V(09月 22日〜09月28日)D

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9月22日(日)曇り

娘から、お彼岸のお中日だから京都へ行き、誓願寺で爺ちゃんのお参りに行って来たとメールが入った。私が、こんな体だから行くことが出来ないの、で悪いなと思うと同時にまだ娘が家にいた頃、ジョーと娘と妻と京都に行ったことを思い出した。清水寺の舞台で町を眺めたり、甘党の店でぜんざいを食べたりしたことを懐かしく楽しく思い出されしばらく思い出に浸る。HPのTOPを、リニューアルした。今度は、白を基にしてすっきりさしてみた。自分では、まあまあの出来かなと思うのだが、いろいろな人にHPに比べると全然駄目なような気がするので、これから気が付いた時に直していこう。

9月23日(月)晴れ

朝3時頃、目が覚めてしまったので一昨日届いた、“稲月明先生”の「肺癌医師のホームページ」の本を改めて読んでみた。やはり、どじつき先生の残した足跡はすごい、こんなジャンルの本は今までに出合えなかった。これは、がん患者とその家族だけでなく、医療関係者、健康な人たちにも是非読んで貰いたいなあと思う。今日は、昨日とは反対で朝から晴れて気持ちが良かった。夕食は、息子たち来てみんなで、わいわい話をしながら楽しく食べた。8時30分頃、息子たちに送ってもらい病院に着いた、そして荷物を整理していたら、薬を忘れてきたことに気が付いた、明日の朝TELして持ってきてもらおう。

9月24日(火)晴れ

朝5時過ぎに、検査のための採血があった、それから少しまどろんで6時30分頃おきて、7時に成るのを待って妻にTELして、昨晩忘れてきた薬を頼んでおいた。11時過ぎに、S先生の回診が有って今朝の検査の結果白血球の数が2000に成っていたので、イレッサの服用は、白血球の増え具合を見極めたうえで始めることにした。夜7時過ぎに妻が梨を剥いて持ってきてくれて話の中で、ジョーの腹の具合が良くないと言ったので薬を飲ませるように言う。

9月25日(水)晴れのち曇り

今日は、治療も無くS回診も無いのでDVDで映画を楽しんだり、テレビを見たりして過ごした1日だった。3時頃、Mちゃんが来てくれて1時間くらい話し相手をしてくれた。先日、読んだどじつき先生の本に「最後のあいさつ」が出ていたけれど、自分の立場に置き換えるとまだ、自分は挨拶を作る段階でもないし作ろうとも思わない。あんな風な心境になるのは、何時のことだろうまだ自分には、5〜6年早いと思っている。でも自分のHPの最終段階に来たら、何か残したいとは思うだろうな。

9月26日(木)曇り

午後3時30分前に、S先生の回診が有って先日採った胸水の検査結果が出て、特にがん細胞は、入っていなかったそうで胸の痛みは、胸水を抜いたところが引圧になっていて、肺のところに引圧が掛かりそれの痛みのようだそうです。その痛みも昨日あたりから感じなくなっているので状態に、慣れてきているのかな?4時過ぎに、看護師さんにお願いしてシャワーを使わせてもらいサッパリした。7時頃に妻が洗濯物を取りに来てくれる。

9月27日(金)曇り

AM5:30検査のための採血があった。10時頃S先生の回診があり血液検査の結果白血球の数は5100に成っていたので今日から分子票的治療薬(イレッサ)服用を始めると言われる。その後しばらくしてイレッサの患者用のパンフレットを持って来てくださった。11時頃、看護師さんが薬を持ってきたいよいよ待望のイレッサが手元に届いたこれからはがん細胞と仲良く暮らそうと改めて思った。昼食後記念すべきイレッサを飲みこれが良い効果を出してくれることを祈る。3時過ぎにMちゃんが迎えに来てくれたので送って貰い家に来たらジョーが尻尾を千切れるほど振って迎えてくれた。

9月28日(土)小雨時々曇り

久しぶりに雨の朝を迎えて思ったことは、水源も降っていてくれるかと、少しでもダムに水が溜まってくれないと洗車も出来ないし、プランターの草花にたっぷり水も与えることも出来ないし、この慢性の水不足は何時に成ったら良いのか・・・心配しないで水が、ふんだんに使えるようになるのか判らない。たぶん自分が生きている間は無理だろう。困ったことだ。妻が帰りに、はぜの釣りたてを貰って来たので早速はぜの刺身を作って、今日昼過ぎに、魚屋で買ってきたワタリ蟹で夕ご飯を食べる。浜辺に住んでいなければ食べられない物ばかり本当にうまかった。こうゆう物を、食べると海の近に住んでいるしあわせをつくづく感じる。

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